« こどもの方舟―いのちを考える Part2 いわき市立美術館 その2 | トップページ | 《光の庭、三ッ山5つの空気柱》-山口啓介 »

《光の樹》 - 山口啓介  

《光の樹》

2005年の夏、伊丹市立美術館で開催された《いのちをかんがえる 山口啓介と

中学生たち 粒子と稜線》展のために制作された《光の樹》 

65_2

光の樹/粒子と稜線 291x262x230cm  2005年

粒子と稜線-3  山口啓介 

 

微妙に振動している粒子。粒子が集まって固体をつくり、雨や大気をつくる。

光の粒子を集めることは、巨大なレンズや複雑な装置を使わなくても、

空の灰色で覆われた雲を透過し、海に降る雨の柱、一本の樹の木漏れ日

からも得ることができる。柿の木のある美術館の中庭から午後2時過ぎから

差し込む光が、柿の葉の隙間を透し、《光の樹》は、床にわずかな光の虹を

つくった。この一つひとつに樹脂を流し込み、植物を収めた七色の透明な箱を

積み上げ、ある山の断層の曲面をもつ三角柱のような「筒」は、上からみると

ハート(心臓)形の、見えない水脈を引く、浅い井戸でもある。

 

 それは連続する断層の無数の重なりからできている山の稜線から、一つの

断面を選び、この1コマの断面を底面にして立ち上げた光の筒で、透明な箱

のなかの、遠目には中空で静止したかのようにみえる植物の一片は、光を

透すと昆虫のようにもみえ、植物と動く昆虫が似ていることに改めて気づいた。

 

 この自然のつくりだす相似形は、はっきりした理由がわからないまま、いまも、

わたし自身を惹きつづけているけれど、もし動いていた生き物を同じように箱に

つめるとしたら、まったく違う感じを与えてしまうものになることが容易に想像が

できる。その場合には、露骨な強制とある種の残酷さからくる目論みをもって、

動いていたものの停止が、直に死を意味するが、わずかな運動で静止つづける

植物の表象するものとの差異を比べるとき、自分には、植物がいまそこにある、

静止しているもののもっている意味が、いっそう多様に開かれているようにみえる。

            (いのちを考える 山口啓介と中学生たち カタログより抜粋) 

66

上からみた《光の樹》

「いのちを考える 山口啓介と中学生たち」 伊丹市立美術館

 2005年8月3日(水)~8月28日(日)

http://www.artmuseum-itami.jp/2005_h17/05yamaguchi.html

また美術館に隣接する、旧岡田家住宅酒蔵では中学生たちと

つくった《酒蔵の光森》が展示されました。

69

ワークショップ「わたしの世界模型」

2005年 7月23-25日

講師:山口啓介

http://artmuseum-itami.jp/2005_h17/17w_inochi.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*《光の樹》は、2012年7月14日-8月19日まで、

豊橋市美術博物館に出品しています。

《自然と幻想の博物誌》

http://www.toyohaku.gr.jp/bihaku/pdf/specimenart.pdf

 

|

« こどもの方舟―いのちを考える Part2 いわき市立美術館 その2 | トップページ | 《光の庭、三ッ山5つの空気柱》-山口啓介 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1194577/46452614

この記事へのトラックバック一覧です: 《光の樹》 - 山口啓介  :

« こどもの方舟―いのちを考える Part2 いわき市立美術館 その2 | トップページ | 《光の庭、三ッ山5つの空気柱》-山口啓介 »